昨日の「読売提言」を受けて産経新聞がどんな反応をしてくるかなーと楽しみにしていたのですが、社説などによる正面からの意思表示ではなく、呆れるほど現実策から乖離した「八木秀次のブチ切れ記事」でした(笑)。
まず冒頭で八木は
何を今さら新味のないものを。しかも、このタイミングで。やっとまとまりかけていた「立法府の総意」をぶち壊して振り出しに戻そうとするのか。事実誤認も散見される粗雑な内容でもある。
と、既に取り乱しモード。これは全く認識が逆で、「新味がない」ほどに常識的である多くの国民の思いが無視され、最終的に密室協議にまで入ってしまった「立法府の総意」(それがもたらす皇統の安定の危機)への警鐘だからこそ、まさに今のタイミングで鳴らされたのです。
ただ、怒りのボルテージは高いものの、内容が「〝産経読者〟への阿り」に終始しているので、言葉に全く力がありません。
読売の提言は、立憲民主党などの主張に同調するもので、議論を振り出しに戻すものでしかない。いや、小泉純一郎内閣の有識者会議が提言した「女性天皇・女系天皇の実現」や、野田佳彦内閣で検討された「『女性宮家』創設」さえ提唱している。
「典型的産経読者」であれば「ジョセー、ジョケーテンノー」と聴いただけで反射的に「ケシクリカラン!」となるのでしょうが、常識的な庶民が抱く感想は「それが何故いけないの?」です。
八木の文は、一般への問題提起に全くなっていない、「常連客へのサービス」でしかありません。
読売には、「この提言を出したら一定数の読者が離れるのでは?」という危惧も当然あったでしょう。それを超える覚悟を貫いたのは、このままでは現在の読者の増減よりずっと重大な、「公」が損なわれる事態を招いてしまう!という強い危機感の表出だと感じます。
「読売に何が起きているのか」?読売は「公のために覚悟を決めた」んです。
では、「八木秀次(産経)に何が起きているのか」?なーんの覚悟もない、お得意さんへのサービス弁論の垂れ流しじゃないですか。
「覚悟」を伴った言論を前にした時、特定世間だけに向けた言葉は、あまりにペラペラで無力です。
だから、「明らかにミスリード」と題した段においてまで、自ら論理破綻やミスリードを大量に含んだ文を書いてしまう。
提言は「皇統の存続」を強調するが、「皇統」とは初代天皇からの純粋な男系の血統のことで、この血筋に連なることが天皇や皇族としての正統性の根拠だ。
この決まり文句は欠史八代や元明天皇→元正天皇の母娘継承などでたちまち破綻してしまい、「純粋な男系の血統が正統性の根拠」というのは、皇位継承の現実策とはまったく別の所にある趣味的なファンタジーです。
その点への考察や言及がなく、それゆえ「男系男子にこだわった結果、皇室を危うくさせてはならない」とし、旧宮家の男系男子の皇族復帰についても「戦後長く一般人として暮らしてきた。そうした人に唐突に皇位継承資格を与えて、国民の理解が得られるだろうか」と疑問を呈することになる。
「旧宮家の男系男子の皇族復帰」←この書き方、完全なミスリードですよね。「旧宮家の男系男子」だった事のある人物は80代以上しか存在しないので「復帰」はありえない。実際には、旧宮家系の子孫を(違憲の疑義を無視して)「養子」にする事で皇族にする、という案なのですから。
それに、「疑問を呈する」事に疑問を呈する(笑)のであれば、「国民の理解が得られる」事の根拠を述べるべきです。八木の論述には、読売が一面見出しで掲げた「現実策」への有効回答が全く無い。
一般人として生活していた人が皇族になることについては女性宮家創設案の配偶者も同様だが、旧宮家の男系男子については天皇・皇族としての正統性の観点からすれば、皇族復帰は妥当だ。
これもミスリード。女性宮家創設案の配偶者は、皇后陛下を始めとする民間出身のお后と同様に「婚姻」という明確な手続きによるものである一方、後者は「600年以上離れた男系の血統」という実に曖昧な根拠しか無いのですから。詳述すればするほど、八木の文(男系固執論の典型)の綻びは明瞭になります。
読売社説は、自民党内に旧宮家男系男子と女性皇族が結婚してはどうかとの意見があるとし、「しかし、女性皇族の意思を尊重せず、結婚相手をあらかじめ制度的に限定するようなことになれば、人権上の問題が生じよう」とクギを刺している。
そりゃあ、そんな人の尊厳を無視したトンデモ意見なんて、クギを刺して当然でしょう!はっきり書いてないけど、この書き方って事は、八木は「当事者の意思を無視した〝政略結婚〟賛成」って事なんだよね?
私の知る限り、ごく一部の意見であり、それも希望に過ぎない。社説は、旧宮家の皇室復帰にケチを付けるための「ためにする」意見に思える。この点も立憲民主党などの主張と同じだ。
「私の知る限り」いやー、八木秀次の周囲の世間は、一般の国民常識からは相当に乖離してるでしょう(笑)。
「旧宮家の皇室復帰にケチを付けるための『ためにする』意見に思える」と言うけど、理に外れていると思う事に異を唱えるのは言論の基本中の基本でしょう。それを言えば、「現実策」への真摯な回答がまったくないこの八木原稿なんて、典型的産経読者へのサービスでしかない「ためにする言論の極地」でしかありません。
おそらく産経新聞には、今後もこうした「おなじみの面々」による読者サービス原稿が載り続けると思いますが、そんな「何も起こせない」惰性にかまけていると、いよいよメディアとしての将来がない…という危機感、内部には無いのでしょうか?






















