昨日の八木秀次に続き、産経新聞社「正論」7月号から竹田恒泰の記事にツッコんで行きます。

竹田の記事は、連載「君は日本を誇れるか!」第132回として「読売新聞は提言を撤回せよ」のタイトルで掲載。まず、このタイトルに強い違和感を抱きます。
「提言」って、「撤回を求める」種類のものなのでしょうか?
言論の自由に基づく意見の発露に対して、等しく認められるのは「反論」です。行政の施策等ならともかく、意見そのものの発表を止めろというのは「言論弾圧」に他なりません。
この時点で、竹田および(言論の自由に立脚した「オピニオン誌」であるはずの)「正論」の行っている事は、言論の範疇を逸脱した「圧力行為」です。竹田はどうか知りませんが、編集部にその覚悟と自覚はあるのでしょうか?
一方、言葉に対して「撤回」を求めるケースとしては、侮辱された際などの「個人の価値を毀損された」と感じた場合などが挙げられます。
竹田は、「養子案」の対象とされる旧宮家系の子孫という「当事者」。
現実策としての実効性に疑義を問う読売提言に「撤回」を求めるという行いは、(「先祖が皇族である」という)自身の属性が持つ価値を〝毀損された〟という意識から表出したのではないでしょうか。
もちろん、「言論や思想の自由が保証された生まれながらの一般国民」である竹田恒泰が私的に感情を抱く事は勝手ですが、そこに基づく発言は「公論」とは言えないでしょう。
さて、そうした観点を一旦横に置いたとしても、竹田の連ねる主張は極めて稚拙なものとしか言えません。
まず「お決まりの文言」として述べているのが次の箇所。
この主張は、将来的に皇室を廃絶することを目指す日本共産党の主張と、完全に一致している。
これは「同レベル」の文言を返せば「竹田や産経の主張は、強い反日・反天皇思想を持つ統一協会が母体の〝世界日報〟と同じ」で即終了です。
さらに言えば、「勝共連合」などという看板に騙されて、統一協会に日本の政治中枢への影響力を持たせてしまった「極めて重大な失敗」の元凶は、こうした短絡的な「アカ・レッテル」(造語)の濫用に他なりません。
現状において、沈着さを備えた常識的愛国者であれば、こうした振る舞いには警戒感を抱くはずですが、竹田および編集部は「正論の読者にはそんな思慮は無い」と考えているのでしょう。
前出の「共産党と同じ」もそうですが、竹田の主張はことごとく「反転」で説得力が崩壊するものばかり。
例えば、公益法人や慈善団体の名誉総裁職は、民間人になっても継続できる。実際のところ、私の祖父、竹田恒徳は昭和二十二年に皇籍離脱した後も多くの役職を続け、七十歳代になっても三十以上の公益法人等の名誉総裁職を担っていた。英国のプリンセス・ダイアナが王室を離れてからもエイズ撲滅や地雷撲滅の活動を続けていたことはよく知られている。
民間人として際限なく名誉職の受託や運動への関与が行えてしまう方が、悪意を持って利用されたり、ゴシップの種にされてしまう危険が大幅に増加します。
女性皇族のご結婚相手が国民的な人気者だったら、その子が皇位を継承できないことを疑問視する世論が形成されるだろう。
将来の仮定どころか、現在、いまこの時の日本では「天皇陛下のお子様が〝女というだけで〟皇位を継承できない」事を疑問視する世論がしっかりと形成されています。
読売提言はその事実に正面から向き合ったものに他なりません。
読売新聞のこの主張は、民間からお嫁ぎになり、立派にお役割を果たしていらっしゃる上皇后陛下や皇后陛下に失礼千万ではあるまいか。
昨日の八木もそうだったけど、門地の限定がない「婚姻によって」皇族となった男性皇族のお后と、「先祖が皇族だった」という門地のみを基準にした「養子案」は、前提が全く異なります(憲法14条関連は別ページで百地章が言及しているけど、そこへのツッコミはまた改めて)。
他にもひっかかる箇所は無限にあるのですが、竹田記事に通底しているのは「天皇・皇族と国民との、相思相愛の関係性」への徹底的な軽視です。
竹田は「アカ・レッテル」を濫用しながら、「血統」に対するスタンスが極めて「唯物論」的。
それは、自身が「社会にマウントする」ための武器が「それしかない」からで、そのためには自らが卑下してやまない「女系のつながり」である「明治天皇の玄孫」という肩書も最前面に押し出してアピールします。
私は竹田恒泰がはじめてメディアに出た当初、「明治天皇の玄孫」というキャッチフレーズに男系・女系とかいう意識は全くなく「へーそうなんだ、すごいね」という素朴な感覚しかありませんでした。しかし、様々な主張に違和感を抱き、あげくに「明治天皇とのつながりは〝女系の玄孫〟」という事実を知ってからは、血統という概念が持つ最も負の側面が凝固した存在、としか捉えられません。
一方、「血統に関する苦悩」を日本で一番重く抱えておられるのは、間違いなく天皇陛下や皇族の皆様。
だからこそ、血統〝のみ〟に甘んじないなさりよう、そしてそこから滲む国民への思いに心を動かされ、本当に微力ではあっても日本の国柄を未来に継いでいくために「日常」を支えたい、というモチベーションにつながっています。
今回あらためて思いましたが竹田恒泰と、その崇拝者のネトウヨ(そしてその受け皿の「正論」)は、「この国で一番〝日本国から遊離した存在〟」です。
その遊離体を形作っているのは、竹田恒泰という、何やら大層なご先祖はいるらしいけど生まれながらの一国民でしか無い者の、非常に矮小な「私」の薄皮のみ(そこに耽溺できる精神性は、皇統問題とはまた別の社会学的レイヤーにおいて「私的に」興味があります。)
明日も引き続き、「正論を購入した元」をとります(笑)





















