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大須賀淳
2025.8.2 18:38その他ニュース

「さや議員、参院憲法審査会所属」の報に思う事

先日の参院選で初当選した参政党のさや議員が「参院憲法審査会」所属になったと報じられています。

まず先に、率直な感情の部分を先に出しちゃいますね。上記ニュース中の


天皇陛下をお迎えして行われた開会式にも出席したと報告。「陛下のお言葉を拝聴した際には、胸が熱くなり、自然と涙がこぼれました。投票してくださった皆さまの想いを、必ずや国会に届けてまいります!」


「着物で国連に押しかけて、日本の皇位継承は男女差別が伝統であるなどという旨の世迷言を喚いてきた集団の一員が、よく陛下に顔向けできるな!」というのが、脊髄反射的に浮かんだ私の感情。

 

その一方、「陛下のお言葉を拝聴した際には、胸が熱くなり、自然と涙がこぼれました。」というのは、嘘偽りないものだと感じます。

 

一般参賀で陛下のお言葉を聞いたってそういった気持ちになるもの。ましてや、議員の任についた自分たちに向けられたお言葉を聞いたら、万感の思いがこみ上げる事がありありと想像できます。根っからのド左翼、反天皇主義者だったら、ポーズでもこんなコメントはしないでしょう。

 

少なくとも、日本の国柄の中で育った国民が自然に持つ、天皇陛下への畏敬の念は、共有できているのかもしれません。

 

だからこそ〟強く問いたい。あなたは、眼前でのお言葉で自身にそうした心情を沸き起こした天皇陛下が、男系男子に固執した継承を望まれていると、本当に思うのか?

 

また、記事タイトルにもなっている「参院憲法審査会」への所属について(ほかに、財政金融委員会、災害対策特別委員会にも所属)。

 

私は、参政党の「新日本憲法(構想案)」はヒドい代物だと思っています。憲法について余人を持って代えがたい能力と情熱を持つ山尾しおり氏が議席を得られず、憲法に関して相応の見識を持っているとは到底思えない人物が「憲法審査会」に所属するなんて、選挙というものに元々持っていたシニシズムがますます深まってしまうのを抑えられません。

 

脊髄反射で思うのは「世も末だ」。

 

一方、思考停止したままの原理主義的な〝護憲〟(個人的には「護」じゃなく「放置」だと思うけど)よりは、「国の土台となる部分へ主体的に関わって行こう」というスタンス自体は「共感」できるものです。

 

自分自身としては、相変わらず参政党は〝支持〟できないんだけど、非常に困ったことに(笑)、守りだけのスタンスを示す政党や議員よりも「共通項」は多いかもしれないという(おそらく、これを読んでいる方達の中にも多く存在するかもしれない)ジレンマを抱えています。

 

参政党は色々と滅茶苦茶だと思いますが、「受け皿」としての機能だけは各政党の中で卓越している。

 

現在、自身の感覚として「自分の気持ちの受け皿となってくれる」と明言できる政党は残念ながら存在しないので、そうした政党が現れた!と感じた人が「熱狂」するのはとても理解できます。

 

さて、話をさや議員本人に戻すと、なんとなくですが投票した人も含めて「さやは参政党の〝お人形〟」という認識が現状の本音ではないでしょうか(自分もそう思っています)。

 

しかし、だからこそ、今後さや議員に(喜ばしい、頭をかかえる、どんな方向にせよ)「成長」や「主体性」が感じられる局面が現れたら、「熱狂」はますます深くなるでしょう。

 

今は、本人のとっても、他党の全議員にとっても(=全国民にとって)非常に大きな「岐路」と言えると思います。

 

昨日のフレンドリッチの会でのよしりん先生の言葉で、個人的に大きく印象に残っているのが「拙い人が、拙い言葉で言ってしまったら、本当に拙い真実なのか。それは違う」というものでした。

 

この辺り

 

相手の拙さを突く(あるいは、拙さを突かれないように守る)というのは、議論上のテクニック的なものとしては有効でも、本当に真実に近づこうとするのであれば、そこに終始せずに「壁」と対峙しなくてはならない。

 

これは〝当たり前の事〟なのでしょうが、一時の希望の多寡かかわらず、いよいよそこから逃げられない局面に来てしまったんだなあと感じずにいられません。

 

もちろん、その中にあっても、一筋であっても見える希望こそが道しるべなのだとは、常に思っています!「出来るのにやれてない」事はあまりに多い。まずはそこから。

大須賀淳

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