もし自由民権運動の当時にSNSが存在したら、意義ある闊達な議論が交わされていたか?それとも、今と同様の「体たらく」になっていたか…。
こんな「if」を時々想像しますが、逆に現代のSNSで撒き散らされる男系固執発言は、そのほとんどが明治時代における島田三郎のコピーでしかない事が、愛子天皇論3最終章「伝統とは何か?」でバラされてしまいました。
では、もし島田三郎が現代にタイムスリップして、「Y」というSNSにアカウントを開設したら?

きっと、お決まりの男系理屈をポストしまくっていたかもしれませんね。
SNS上の妄言への対処といえば「論破まつり」!
まずは、こちらの言説をボコボコにしましょう!
8人10代の女帝はみんな単なる中継ぎでしかない( ー`дー´)キリッ
まず、最初の女性天皇(と現在はされている)推古天皇からして、その在位期間は593–628年(約35年間)という非常に長期である時点で、中継ぎと呼ぶには無理があります。
皇太子とされた摂政の聖徳太子が死去したのは太子が49歳の時(推古天皇の在位中である622年)であり、中継ぎであったらとっくに譲位していたでしょう。
その他、歴代の女性天皇が残した足跡のほんの一部だけを挙げても
推古天皇
十七条憲法・冠位十二階の制定、遣隋使の派遣
皇極/斉明天皇
初の重祚(2度の即位)
持統天皇
藤原京への遷都、律令国家の基盤整備、孫の文武天皇に攘夷して史上初の太上天皇(上皇)に
元明天皇
平城京への遷都、和同開珎の鋳造、古事記の完成、母から娘(元正天皇)への皇位継承
元正天皇
日本書紀の完成
孝謙/称徳天皇
初の女性皇太子、養老律令の施行
これだけ歴史の要所に足跡を残している女帝を十把一絡げに「みんな単なる中継ぎ」などと呼ぶのは、男尊女卑感情に基づいて女帝を卑下するための暴言としか言えません。
皆さんも是非、様々な観点から島田三郎を論破してやってください!
( ー`дー´)キリッ





















