昨日のよしりん先生との会食について、門下生・ケロ坊さんの感想です。
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ケロ坊です。
生命至上主義の監獄を脱獄された小林先生と会食をしてきました。
率直な感想としては、言われなければ脳溢血後とは全くわからない健康そうなお姿でした。痺れも左手と唇周りが主だとか。
血圧を下げられたからか、もしくは美食家には苦痛でしかない牢獄暮らしのせいか、多少元気はなかったかな?とも思います。
しかしブログにもありましたが、漫画を描くことには何も支障がない、むしろアイデアはどんどん出るとも伺いました。
そうなると、逆にマヒ症状が右手に出ていたらと思うとゾッとします。
野生動物は、自分で獲物を獲る能力を失ったら自然と朽ちるだけですが、
同じことは生命至上主義(例;医療カルト)を批判・拒否して、
「命は手段にすぎない この命を使って何を成すかだ」という考え方で、
仕事をすることで公と繋がる現場主義・実用主義の保守でも言えると思うからです。
その想像から去年のチラシコンペに出したものが脳裏に浮かんでしまいました。

今回の小林先生のことに限らず、一般論として、”人間いつ死ぬかわからない”ということは常に意識しておいたほうがいいものです。
事故に遭うかもしれないし、突然病気で倒れるかもしれないし、目の前で通り魔が暴れ始めるかもしれません。
また、上のチラシは、何百万人が読んでいるはずの『戦争論』の読者に向けていたところもありました。
その人たちは今どうしてるんだろうと考えてしまいます。
戦前の日本は悪ではなかったという認識は持ちつつ、それぞれの日常に埋没していってるという感じなのでしょうか?
日常に埋没とは言っても、入院のニュースがネットメディアをかけ巡ったところを見ると、みんな小林先生のことを気にしてはいるようですよね。
そもそも、『戦争論』は歴史認識だけの本では全然ありませんでした(サヨクもネトウヨもそこしか言いませんが)。
昨日の会議からこのコマが頭に浮かんできました。

もし『戦争論』を読んだ人たちが今この感じになってるなら、それは結局戦後民主主義の生命至上主義にヤラれてるのであって、個人レベルではお花畑であって、「命は手段」には全然なってないということになります。
あるいは、「生きることそれ自体が目的」のネガティブ方面として、「生まれてしまったから 仕方なくただ生きる」になってたりするのでしょうか?
どちらにせよそれらは「命は手段」とはほど遠いわけで、『戦争論』の趣旨を胸に生きてることになるのかな?と思ってしまうのです。
「戦前は悪だとは思っていないし靖国参拝したからオールOK」とか、保守ってそういうことではないのは、ネトウヨ保守を見ても明らかですよね。
特に常に死を意識するというのは難しいはずです。
人間は堕落していくものと『新・堕落論』にもありました。
「そんなことはない!今も命は手段として戦争論で教わったことを胸に日常を生きている」と、もし『戦争論』読者の集合的無意識が言うのなら、
国であり、公であり、英霊たちが守った天皇制がニセ保守に追い詰められてピンチなのに、何もしないっておかしくないですか?と言いたくなってしまいます。
それと、『戦争論』の影響というのは直接の読者に限りません。
自民はもちろん参政党もそうですし、『チ。―地球の運動について―』という作品は命を手段として地動説を研究する人たちの話でした。
その作者の魚豊(うおと)氏は今28歳で喋りも上手く、ネットラジオで戦後80年について語っていました。
そこではウクライナ戦争の見方が変だったりいろいろ微妙なところはあるものの、戦前を左翼よりはフラットに見てる感じがしますし、ナショナリズムは必要なのではということも言っていて、『戦争論』の間接的な影響を感じます(僕らからするとぬるいのでリンク貼るのはやめておきます笑)。
さらに言うなら、「小林よしのり」の死後に評価を上げるというゴッホみたいなことをするのもやめて欲しいなぁ~と思ってます。
先生の洞察力や著作の凄さと現在の評価が合っておらずギャップが大きいことは、今DOJOに参加してる人たちはみんな感じていることで、ひいてはゴッホ状態になるのは目に見えています。
評価が上がること自体は悪いことではないですが、放浪癖があった画家の山下清も、「死後に評価を上げてもゴッホ本人には伝わってない」みたいなメモを遺しているのを見ましたし、
『新戦争論』で紹介された竹内浩三も
「なれど 骨は骨 骨は聞きたかった 絶大な愛情のひびきを 聞きたかった」
と書いてましたよね。
「いなくなってから気づく」パターンでの評価爆上げは甘えです。
さらにさらに、よしりん・ぽっくん夏祭り 第一部からの『戦争論』の議論の続きもまだこれからです。
つまりはシンプルに、今DOJOイベントに参加することが、小林先生への恩義に報いることになるということです。
また、それが上のコマの、「生きることそれ自体が目的」なだらしない顔になっているかも知れない己を律する、自分を自由にしてくれる束縛の一つにもなるはずです。
話は変わって、夏祭り 第四部のよしりんバンドLIVE映像の編集が終わりました。
ほぼノーカットながら、音楽とトークが一体となって展開も早いため、一回観始めると止まらない仕上がりになっています。

先行チラ見せの1カットです。かっこよすぎ。
ご期待ください。




















