自民党議員の中でも、「テンプレート的なゴリゴリ〝保守〟」の代表格というイメージの強い一人が高市早苗でしょう。
今日の総裁選出馬会見でも、お決まり通りの男系固執発言を繰り返しています。
一方で高市は、議員一期目の1994年、「リベラルズ」というどストレートな名前の政策集団に参加(リベラルズはそのまま「自由党(1994)」になり、さらに「新進党」へとつながる)。
その2年後、小沢一郎の方針に反対して新進党を離党し、「リベラル・デモクラティック・パーティ」なんて名前の政党(言うまでもなく「自由民主党」です)に入っているので、「高市早苗は一貫して〝リベラル〟畑を渡ってきた」と書いても、〝文字面としては間違ってない〟んですよね。
こんな奇妙な事になってしまうのも、「保守」や「リベラル」という語が、(イメージが悪くなった「右翼」「左翼」の言い換えとして)意味の深い追求が行われないまま、言葉だけが雑に使われてきた事の証左でしょう。
「保守する」「自由にする」その両方で曖昧になっている「主語」は一体何でしょうか?






















