ゴー宣DOJO

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大須賀淳
2025.10.9 22:45

「自己ラベリング」の迷走

立憲の枝野幸男議員が、X上において、匿名ユーザーのポストに反応してこのような投稿を行っていました。

 

私は先日ブログに書いたように「保守自由主義」(保守リベラル)と「自由保守主義」(リベラル保守)の定義の違いを知ったので、得た知識をこれみよがしに使いたがる嫌なオタク根性全開に(笑)「枝野氏は、リベラルに軸足を置いた上で伝統・慣習にも配慮するスタンスなのか」と、一人きりの仕事部屋で無意識にヒゲを触って「ん〜、マンダム」なポーズになりながら思ったりしています。

 

また、岡山からの新幹線で読破するつもりだったのが、鉄道の1/fゆらぎで居眠りしてしまいまだ読破していない中島岳志氏の書籍タイトルは「『リベラル保守』宣言」。こちらは「保守」がベースでいいのかな?という事は、全部読んだ後に改めて。

 

さて、政治家や知識人といった「思想が〝商売道具〟」(あえてこう書いちゃう)の層にとっては、「保守」「リベラル」「中道」といったラベリングを組み合わせての「看板」が大事になるのでしょうが、それが余計に「定義」をわかりにくくしている部分があって、迷走を招いていると感じます。

 

次回のDOJOテーマである「そもそも保守とリベラルの差って何だ?」という問いと、それに沿った議論・考察は、むしろそれが深まれば深まるほどに、解釈をめぐるオタク的なドツボや、SNSにおける憂さ晴らし的な罵倒合戦のツールといった不毛から離れた、あらゆる人が自分の生き方を見つめるための有効な糧となって行くはず。

 

「思想」とは自己の中における精神活動そのものとその産物であるべきであり、本来はその結果を整理するためのツールであるはずの「保守」「リベラル」「中道」といったラベルが、自己の外側にあってマニュアル的に従う教条のようなものになったら、意味を全く失ってしまうと私は感じます。

 

「道場」は実践(生き方そのもの)に対峙するための鍛錬の場であり、当然それはパネラーだけでなく、会場や配信で参加する全ての人の内的な部分で躍動してこそ、きっと本物なのですよね。

 

それこそが、一時の消費に陥りやすい「朝生的な言論ショー」との最大の違いであり、その場の運営のために自分が情熱を発揮できる大きな礎になっていると感じます。

大須賀淳

次回の開催予定

令和7年 12/13 SAT
14:00〜17:30

テーマ: 「歌謡曲を通して日本を語る LIVE in 横浜」

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