11月29日、高森稽古照今塾の有志で立川市の
昭和天皇記念館を拝観し、八王子市の武蔵陵墓地で
大正·昭和の天皇·皇后陵を参拝した。立川駅近くに国営昭和記念公園がある。
そこに建つ花みどり文化センターの中に
昭和天皇記念館がある。
私はこれまで何度か訪れている。このたびは、昭和天皇の3つお椅子が印象に残った。
いずれも実際に昭和天皇が使用されたものだ。まず、儀式用のお椅子。
豪華で荘厳さを備えている。
今も国会の開会式で用いられている玉座とほぼ同型だ。次に、皇居·宮殿の表御座所「菊の間」での
ご執務の際に使われたお椅子。ご執務の中身は、憲法で国事行為とされているものの殆どをカバーする。
法律·政令·条約の公布文へのご署名など、
国家の運営に欠かせない枢要な事項ばかりだ。
その責務の重大さに対して、お椅子はいかにも簡素で実用本位。世間では見られがちな、ステータスを誇示するような気配など、微塵もない。
これは、敢えてそれを誇示する必要がない、尊貴なお立場ゆえだろう。
3つ目は、私的な研究用のお椅子。
極めて慎ましやかな質素さに驚く。
小さくて硬そうで、およそ快適さとは縁遠い印象だ。昭和天皇の生物学上のご業績は国際的にも高く評価されていた。
にも拘わらず、終生、このような質素なお椅子を
使い続けておられた。
公私を厳格に区別され、私的方面ではあくまで
ご倹約に徹しておられた昭和天皇のご姿勢が伝わる。天皇のお椅子というと、一般に豪華で贅沢な
イメージが強いのではないだろうか。
しかし、公的な場所であっても、儀礼として
厳かさが求められるのでなければ、
華美な装飾性や贅沢さは排された。私的研究では、民間の研究者より慎ましそうなお椅子を、
当たり前に使っておられた事実にも、目を注いでおきたい。武蔵陵墓地では奥側の大正天皇の多摩陵、
貞明皇后の多摩東陵から参拝し、
その後、昭和天皇の武蔵野陵、香淳皇后の武蔵野東陵にお参りした。
天皇陵に対して皇后陵が東、つまり陵側から見て左(向かって右)
に位置するのは、わが国では伝統的に左を上位とした
考え方とは矛盾するのではないか、
という疑問を持った参加者もいた。しかし即位の礼でも、高御座の天皇が右、
御帳台の皇后が左におられる位置関係だ。かつてブログ(令和3年3月4日公開など)でも取り上げたように、
明治時代から宮中行事では「西洋式」を採用して右優先になっている。
これは当時の文明開化の流れから、
国際儀礼に配慮してのことだろう。御陵の造営に当たっても、明治天皇の伏見桃山陵と
昭憲皇太后の伏見桃山東陵の位置関係が、
まさに右上位になっていた(南向きに造営される陵では
西側が右、東側が左に位置する)。過去の事例を振り返ると、天皇の○○陵、皇后の△△東陵
という形は、この明治天皇陵·昭憲皇太后陵以来のことだ。
そもそも、わが国で左上位の観念が持たれた背景については、
古代シナ唐の影響が指摘されている。シナでは右上位と左上位が時代によって入れ替わったが、
日本で古代統一国家の体制整備が進んだ時代に、
左を上位とする唐から影響を強く受けたので、
同様の観念が定着した可能性が高いだろう。
それが明治から転換したことになる。天皇·皇后をモデルにした雛人形の位置関係が、
京風(=左上位)と関東風(=右上位)で
逆になっていることは、広く知られているだろう。なお、明治22年に建立された宮中三殿では、
賢所→皇霊殿→神殿という優先順位で祭祀が行われるが、
中央の賢所に対して皇霊殿が右、
神殿が左に建てられている事実も付け加えておく。▼追記
①プレジデントオンライン11月BEST記事に、
「高森明勅の皇室ウォッチ」11月6日公開記事が選ばれ、
12月5日から再掲載。
https://president.jp/articles/-/104473②12月16日発売の「週刊女性」(12月30日号)及び
同日前後配信の「週刊女性PRIME」にコメント掲載。▼高森明勅公式サイト
https://www.a-takamori.com/
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