辻元清美氏による、こちらのXポスト(全文は下記サムネをクリックの上、原典をお読みください)。
この中でも特に、
私たちが目を凝らしておくべきは、権力者が「官僚答弁を読むかどうか」ではなく、「官僚答弁を理解する意思と能力があるか」です。
「意思と能力」があった上で、政治家としての信念に基づき、官僚答弁を踏み越えるのは、政治家が自らの言動に全責任を負う、政治責任の問題だと考えます。
上記の部分に大きく同意しました。
Xで引用リポストする際に長めのコメントを書きましたので、ブログにも転載しておきます。
↓
内閣総理大臣は、議員であると同時に「行政の長」です(かつて安倍元首相は「私は立法府の長」という錯誤発言を行いましたが。この発言時の質問者は、山尾志桜里さんでした)。
首相は「行政のトップ」ではあっても、決して「行政の独裁者」ではありません(あってはなりません)。
官僚答弁の中身自体も、行政の長たる内閣総理大臣に責任が及びますが、ましてやその中身を逸脱した論を述べるなら、そこで生じる責任は全て首相個人にかかって来ます。
自身が責任者である組織体の見解と異なる事をトップが述べるという事は、これは「その立場の進退を賭ける」レベルの事。果たして、高市首相の答弁にはそんな「覚悟」はあったのか?
それ位に首相の発言は重いものであり、その自覚さえ無いとしたら、「行政の長」としての資質はゼロです。
アドリブ放言こそが我が本懐!とされるなら、高市早苗氏は首相・閣僚という立場を一切辞して、(投票による信任があれば)一議員としてか、もしくは民間の言論人として存分に発言される道をとるべきでしょう。






















