ゴー宣ネット道場

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切通理作
2010.6.27 07:57

沖縄は日本ではないのか

     
    このブログの過去2回の内容を見て「いったいどこが『コメンテーターへの道』なのか」と思っている方もいらっしゃるかもしれません。

  実は、このブログでやろうと思っていることのひとつに、実際にテレビで放映しているワイドショーを見て、出演しているコメンテーターのコメント要旨を抜粋し「自分だったらこうする」というのを考えてみたいということがあります。

  その結果「お前のコメントじゃやっぱり駄目だな」と思う人もいるかもしれません。

  精進していきたいと思いますので、ご意見ご感想いただければ幸いです。

  さて最近僕が見たのは、24日の朝8時につけたワイドショー。ザッピングしていて、テレビ朝日に落ち着いたら「教えて!ニュース」というコーナーをやってました。

  まずは日産自動車のカルロス・ゴーンの年棒が約890,000,000円ということについて。外国人役員にこんなに払っていいのかという話題で盛り上がっていました。

 「使名料みたいなものなんだろうか」とやくみつるさんがコメント。

 

 その中でも、東ちづるさんは「ハイリスク、ハイリターンは日本社会の私たちに合っているのかどうか」とコメントをされていました。

 
  もし僕がその場に居たら、単なる反感ではなく、アメリカ型のグローバリズムに日本が呑みこまれることへの視座が東さんのコメントにあることをもう一言印象づけたいところです。

  それを噛み砕いて言うとしたら「アメリカって、庶民が自分はちっとも得してなくても、誰か個人にたくさんお金が手に入ることがドリームになってる社会ですよね。でもそれは日本人の価値観に合わないんじゃないかと思うんです」とか。


 日本ではテレビの視聴者にもっともアピールするものに「誰かがこんなにもらってる」という不公平感を煽りたてるというのがあります。

 それは嫉妬による揚げ足取りに終始する危険もありますが、日本人の庶民感覚のアンテナとして、必ずしも間違ってないと思うんです。


  「嫉妬」という言葉を使うとネガティヴに聞こえますが、日本人は民主主義だ全体主義だという以前に、誰かが強引に出し抜いたり、極端に割を食ったりということに対して、個がバラバラではなく地続きの問題として捉えて、おかしいと思うことに対しては警鐘を鳴らす嗅覚を持っているのではないでしょうか。


  そうした「世間智」とシンクロしながら、ただの現象面へのリアクションではなく、これからの未来を見通すコメントが咄嗟に言えるようになったらいいですね。

  精進します!

  さてその次の話題は、沖縄の戦没者追悼式での管直人首相の挨拶と沖縄県民のリアクションについて。

 「(基地は)出てってくれと愚直に(アメリカに)言っていくしかない」とやくみつる氏が言い、局アナみたいな人が、<鳩山首相は大批判を受けたが、正面切ってこの問題を扱った。しかし管さんになってから距離感を作ってるように感じる>とコメント。

 僕も鳩山首相は少なくとも沖縄の基地問題に目を向けさせたという意義はあると思っていました。やくみつる氏に対しても、自分たちの問題だという認識になっていることに関しては同意します。

 これまで沖縄の問題は、どっか遠くの問題として本土の人間には捉えられていたと思います。

 実は僕自身、以前は沖縄独立論にシンパシーを感じていた部分もあったことをここに告白します。

 沖縄を社会派的に「悲劇の島」とだけ捉えるのではなく、彼ら独自の文化を尊重すべきではないかと思っていたのです。

 しかし小林よしのりさんの『沖縄論』を読んで、沖縄を「癒しの島」と捉えて心地良い部分だけ受け取り、文化として消費し、普段はそのことを考えないで済んでいることの免罪符として「沖縄は独立した方がいい」などとわけ知り顔になっていた自分に気づきました。

 つまり「異質なものを認めている自分に酔っている」だけだったのです。

 

  管直人首相の挨拶に僕が疑問を感じたのは、基地負担に関して「全国民を代表してお詫びを申し上げます」と言った箇所でした。

 自分がコメンテーターだったらこの部分を指摘します。

 「それでは沖縄県民は、管首相の言う『全国民』の中に入っていないのか、と僕は思ってしまいました。沖縄を含めて日本国全体のあり方として、軍事における日本とアメリカの関係が今後どうあるべきかを首相には問うてほしいのです」

 もちろん、言い回し一つにあまりこだわりすぎると、それこそまた「揚げ足取り」になってしまいますが、管首相のこの挨拶と、<沖縄県民の失望と怒り>を対比して描く番組のあり方を見て僕が思い出したのは、先日のゴー宣道場にて原口一博大臣が言っていた「世の中を分断する言葉を減らしてください」ということでした。

 管首相は沖縄滞在中の中山知事との会談で、基地問題に関してはアメリカ政府と合意しつつも、沖縄県民の意見を尊重するという意志を表明しています。

 人の意見を尊重するといえば一見聞こえはいいですが、日本国の首相としての主体はどうなるのでしょうか。
 そ
してまさにこういう時にこそ、日本国全体のあり方として問う機会ではないですか。

 
 前回のゴー宣道場の帰り、道場主の皆さんとお話する機会があったのですが、宮城能彦さんからこういう話を聞きました。

 宮城さんが最近本土で、沖縄から来たと名乗ると、街の普通のおばちゃんから「沖縄の人って基地押し付けられてかわいそうねぇ」と言われ、「ようやっとこういう認識を普通の人が持ってくれるようになった」と感激したと。

 つまり、海で隔てられてはいても同じ国の問題として地続きに捉えられている。

 沖縄の基地の問題がワイドショーにもあらわれているような世間智に組み込まれるようになってきたのです。

 沖縄と本土の対立を煽りたてていく従来のあり方に依拠した番組作りをしながらも、意識の変化が同時に起きていることも示されているワイドショー。

 そこにもう一滴のスパイスを、捉え直しを……と思うのは僕だけでしょうか。

 せっかくいまこうして、沖縄の問題が日本全体の問題として一般的に再認識されるようになったのです。

 このプラスの機運をどうにかして活かしていけないものかと。

 7月11日(日)の「ゴー宣道場」第4回『沖縄の歴史と米軍基地を語る作法』には僕も前回同様、末席に伺わせていただくつもりです。宮城先生の基調講演を伺い、日本人として、沖縄問題を語るための作法を身に付けていこうと思います!

 当日来られた方、胡坐をかけずズッコけている僕を発見しても、温情で黙認してくだされば幸いです。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

次回の開催予定

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テーマ: 「『コロナ論』が炙り出したもの」

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