今週の『週刊文春』(9月16日号)に「原口総務相『靖国公式参拝』宣言」との記事が載っている。
以前、私はこのブログで、菅内閣の閣僚が終戦記念日に誰も靖国神社に参拝しないことに絡んで、この日でなくても春秋の大祭に合わせて参拝して欲しい、と希望を述べた上で、こう書いた。
「ゴー宣道場で最後のメッセージとして『報恩』という言葉を掲げた原口大臣の心中やいかに」と(「『あさなぎ』の麦茶配り」8月14日)。
原口氏は「ゴー宣ネット道場」を覗いておられるとのことなので、上記の私の呟きにも目をとめて頂いているかも。
それはともかく、この度の記事は、原口大臣がその「心中」をかなり率直に吐露した内容になっている。
いわく、終戦記念日は「靖国へは参りませんでしたが、護国神社に参りました」「そう遠くない時期に、環境が整えば私は靖国神社に参拝したい」「今までも、主に春と秋の例大祭の時期に、毎年参拝してきました」「九段の議員宿舎にいたころは、毎朝手を合わせてから国会に向かっていた」等ーー。
なかなか心強い発言が並んでいる。
もちろん、そこで披瀝されている歴史認識の全てに賛成するわけにはいかない。
あるいは、いわゆる「A級戦犯」合祀によって、護国神社にも天皇陛下のお出ましがなくなったとされている箇所など、その因果関係については疑問があるし、今上陛下は各地の護国神社参拝をなさっている事実に触れていないのも、やや首をかしげる。
だが、現職の閣僚として、臆すことなく靖国神社公式参拝の意志を表明されたのは、昨今の政治情勢下では、大いに評価に値する。
どうか「閣僚として」靖国の英霊に尊敬と感謝の誠を捧げて頂きたい。
なお記事の中で、旧厚生省の引揚援護局が、靖国神社の合祀基準を満たす戦没者についての情報を取りまとめて「祭神名票」として通知していた件につき、軽々しく読み飛ばせない記述がある。
簡単に問題点を整理しておこう。
記事にもあるように、200万にも及ぶ膨大な戦没者が合祀基準に当てはまるかどうか、神社が独自に調査、判別するのは到底、無理だった。
そこで、厚生省が扱う遺族援護法と恩給法の適応対象者が、原則として靖国神社の合祀の選考の対象とされることから、さっき述べた「祭神名票」の通知がなされていたのだ。
ところが、昭和46年に厚生省は、過去の通知(昭和31年〜45年)を廃止した。
靖国神社にいわゆる「A級戦犯」の「祭神名票」が届いたのは、昭和41年。
重要な案件なので、慎重に取り組み、実際に合祀したのが、厚生省が通知を廃止した後の53年だった。
このことに関して、原口大臣は記事の中で、こんな発言をされている。
「果たして靖国神社に送られた祭神名票が行政的に有効だったのか、無効だったのか、検証されるべきでしょう。
行政手続きの側面から見ると、A級戦犯の合祀にはかなり無理があるように思えます。総務相として、まず政務3役でこの問題を議論することから始めます」と。
これがどこまで原口大臣の発言を正確に伝えているかは、分からない。
だが、ここには重大な混乱が見られる。
まず、昭和41年に靖国神社にいわゆる「A級戦犯」の通知が届いた時点で、それは廃止される前だから当然、有効だったに決まっている。
「行政手続きの側面」では全く欠陥はない。
しかも重要なのは、それが「情報」を伝える通知であって、靖国神社に対し、何かを指示、命令するものではなかったこと。
もし指示や命令の類いなら、それが廃止されれば、その指示や命令に従って行った措置について、見直す必要が出てくる場合もあるだろう。
だが当たり前ながら、靖国神社は厚生省の出先機関でも下部組織でもなければ、管轄下にあるわけでもない。
だから、指示や命令などを、出せるはずがない。
通知を廃止しても、その通知によって伝えられた「情報」に間違いがない限り、靖国神社には何の関わりもないことだ。
例えば、遺族援護法や恩給法の適応対象としたこと自体が間違っていた、となれば事情は違ってくる。
だが、そのような話ではない。
そもそも「祭神名票」が厚生省からの指示、命令の類いで、それが廃止されたとなれば、いわゆる「A級戦犯」だけでなく、昭和31年〜45年までに合祀した全ての祭神を見直すという飛んでもない話にもなろう。
靖国神社の祭神合祀は、いわゆる「A級戦犯」であれ他のどんなケースであれ、そもそも「行政手続き」ではない。
なのに「行政手続きの側面から見ると……かなり無理」とは。
こうした見方自体、「かなり無理」と言うほかない。でも、賢明な原口大臣は、この問題とご自身の「公式参拝」を絡ませるようなおつもりはないらしい。
「閣僚として」堂々たる参拝を期待する。