ゴー宣DOJO

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切通理作
2012.3.2 08:58

ゴー宣道場を検証する・震災一ヶ月後編(上)

東日本大震災からちょうど一年目の日に開催される、次の第23回ゴー宣道場。

題して「3.11以後、発狂した政治・言論を撃て!」。

 

その日の準備として、「ゴー宣道場の対応としては、あれで良かったのか?」「再びの事故の場合はどう行動すべきなのか?」を問い直すための、自分を含めたゴー宣道場での発言や態度を振り返る第二弾は、昨年の4月10日に行われた『大地震」有事と国民』です。

 

3.11からちょうど一か月の時点での道場でした。

ここでまず提起されたことは、日本人はこれからどこへ向けて復興するのか?という問題です。

 

コンビニで24時間たいていの必需品が揃い、水道が通っているのに普段からペットボトルの水を買って、電気も使い放題であるという、その地点を我々の、疑うべくもない<前提>にしてしまっていいのか?

 

すべて揃っていることが前提で、確率の低いことは除外されている社会。

 

原発というものについても、現実のリスクを考えない、設計主義的な陥穽はなかったか。近代文明そのものが必ず負わねばならないリスクとセットになっているという認識を持たず、いやむしろそれを持たせないようにするための、安全信仰の連呼に傾いてはいなかったか。

 

それは災害救助で国民の信頼を受けた自衛隊の受け止められ方にも通じます。

軍隊の本来持つ「暴力性」という面を引き受けていく覚悟は国民にあるのかどうか?

 

そのことと、エネルギーというものは便利な側面だけが存在しているわけではないということは、実は共通した問題なのではないだろうか?

 

そしてまた小林よしのり代表師範から提起されたのは、「情報公開」の問題。

政府と東電が情報公開をいくらしても、国民はそれを解釈できるのか?

いくらやっても「まだ隠している」と言われる。

どっちみち一般庶民にはわからない。

情報公開ってどれだけ有効なことなのか? そういうことも突きつけられている、と。

 

それを受けた切通は「いったん論議に巻き込まれてしまったら『この程度は安全だ』と言っても『ホントにそれはそうなのか』ということになる。だからいつのまにか安全神話の方を積み重ねていかざるを得なくなって、論議していくこと自体出来なくなってしまった結果としていまがあるということかなと」とまず発言。

 

高森明勅師範は「小児病的な<反核>アレルギーに対抗するために『大丈夫だから』という方向だけで来てしまった、核エネルギーに対して誇大に安全神話言わなければならなくなった経緯がある。本当は日本が経済大国を目指すのか、それとも成長信仰を抑えた形で行くのかということとからんで国民が議論するべきだった」と発言されました。

 

小林師範はまた、次のように言います。

単純に東電の責任追及をするだけでいいのか。これほどまでの津波を前提で原発を建てるなら、とてつもない費用がかかる。しかし庶民は電気代が安い方がいいと言うだろう。だったら東電だけじゃなく各社競わせればいいのか。そうなったら今度は『コストを安くする』のが民間企業の宿命なのだから、もっと危険ではないのか……そういう覚悟そのものを、我々は全然できてなかったと。

 

そして堀辺正史師範はこう言います。

いまの憲法条文に、国民の安全と生存を「諸国民の手にゆだねる」とある。これは、文明の危機に備える構えが戦後の政府に全くないことを示している。

 

原発政策において、一方的な宣伝で安全を謳ったのは設計主義であり、そこでの「安全」はすべて想定でしかない。

・・・・・・この堀辺師範の発言は東電の「すべて想定外だった」という言い訳それ自体への批判でもあります。またより根本をいえば、戦後日本体制そのものが、国民の安全と生存に対して、具体的な方策を持ってこなかった。

 

堀辺さんは日本が地震列島であることを示していきます。

平安時代初期の貞観時代(859ー874年)は3年に隕石が落下、6年には富士山が噴火大爆発して青木が原に大溶岩が流れ出し、10年には播磨の国を中心に群発地震が発生。11年には三陸地方に大地震と大津波、16年には開聞岳が噴火爆発。

 

そこまで遡らずとも、幕末の安政時代に日本を揺るがしたのはペリーの来航だけではなく、安政元年から一年置きに地震が発生し十万人以上が死亡、またコレラで23万人が死亡している。

安政時代は自然災害で人心が不安となり、それもあって「国難」と呼ばれた。

 

明治天皇の「有事と国民」という言葉にあるように、大和心は有事の時に発揮される。

 

その認識の上で、堀辺師範は言います。

日本は戦争だけでなく、もともと大震災、津波にどう対応するのかが為政者に問われていた基本的な課題だった。

ところが戦後はそれを国民にゆだねるという。そこから「安全神話」が生まれた。

文明の危険に一切触れないで安全の側面を打ち出す政治のありようが、天災に人災を加えてしまうのだ。

 

小林師範も、安政時代の話題に触れながら語ります。

震源のほぼ真上に当たる宮城県沖の海底が東南東に約24メートル動いていた今回、これから地震がどんどん起こっていくと考えた方がいい。

いったん起こったら次から次へと地震が起きるという時期に入ったのだ。

 

それなのに、たった一日水道水の放射性物質が乳幼児暫定基準値を超えただけで、関東大震災のためストックしていたペットボトルの水45万本を配ってしまっている。水道水を飲まないように、赤ちゃんにはこれでミルクを作りなさいと。

買い占めに狂奔し、ペットボトルを二倍製造しなければならない事態を招いた一般庶民も異常である。普通に買ってたら毎日買えるペットボトルを八倍買っていた。

 

こうした一般国民の生命至上主義による不安感のすごさ……大震災が明日にでもどんどん起こり始めるかもしれない時代に、こんな我欲の連鎖があったら本当に天罰が落ちるかもしれない。

 

日本人はセロトニンのレセプターが外国人より少ないので「不安になりやすい民族」で集団性に入り込みやすい。

たしかに日本人は責任感が強い。外国人の方が楽観主義で、その代わり無責任だ。

日本人は不安だからこそ、集団の中で秩序を保とうとする。

だから、誰かが「不安になる必要などない」と懸命に説得する必要がある。

 

堀辺さんは言います。

3.11以後、政府の説明で原子力の安全性について、何度聴いてもわからなかった。だから初動だけを注視していた、と。

 

自衛隊は初日に2万人、2日目に5万人、3日目には10万人を要請している。これは、堀辺さんから見れば政府の初動がまったくダメだったことを示していると言います。

 

震災直後は空輸しか出来ない。これは民間では何も出来ないということを意味する。

初動の三原則とは、一に空輸、二番目に自衛隊から報告を聞いて道路を開通させること、 三番目に怪我した人々を救出する医療を整備することが必要になる。

管内閣はこれを全部やってない。

そして国民も政府も同程度に危機意識がなかった。

 

高森師範は、被災地でない東京の住民がオタオタしてみっともなかったことを指摘します。

政府も国民も「非常時」というものがあるという認識が希薄だった。

戦争にも巻き込まれないし、文明生活が揺るがされることもない。戦後的な安全な日常がいつまでもノーリスクで続くと思い込んできた。

 

教育勅語には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とあり、これには兵役の義務と一組にされているという戦後民主主義陣営からの批判がある。

しかし、公のために心を合わせて身を粉にしなければならないということは間違いだろうか。非常時には非常時の原理がある。これをして人命をないがしろにするものであるという批判は当たっていない。

 

今回の震災においても、不眠不休で懸命に働いている現場の末端の人たち。彼らが一番最初に逃げてしまっていたらどうなっていたか。

生命尊重では生命そのものが守れない。このことを見落としてきたから、最高指導者がパニックを起こしている。

 

ここで堀辺師範が、政府長官等が作業服を着て会見に出ることを「どう見ましたか」と高森さんに訊きました。

高森師範は即座に「パフォーマンス」と言い切ります。覚悟が微塵もない人間が「やってます」と見せるためだけのものであったと。

そんなパフォーマンスではなく「こういう手立てがある」と国民に示し、順番にやっていくのを見せないといけなかった。電力にしても、東電任せにせず、強制的に政府が使用制限しなければならなかった。

 

堀辺師範は、為政者が作業服を安易に着たことで、世界中のメディアが「この国はもう壊滅的にダメになってる」と思ってしまった。そう思わせてしまった責任は大きいと語ります。

 

ここで小林師範が、南三陸で24歳の女性がテレビ局の中継で、津波からの避難を最後まで呼びかけて死んでしまったことに触れ、彼女は特にふだん教育勅語にあるような教育を受けてきていないし、右派でもない。そういう人でなくても、職務を与えられた立場でずっと働き続けて「あっ」という一言で放送が途絶えるまでまっとうした。

他にも、警察官が子供や老人を避難させようと殉職した例もあれば、学校の先生も使命感をまっとうした事実もある。

同じ立場に置かれても、中国人だったら、逃げちゃうんじゃないの?

 

日本人には、もともとそういう律義さが無意識のうちにある。それは特に戦後教育の問題でもない。

 

堀辺師範はこれを受け、歌舞伎にしても、公のために身を呈する人を敬頌する文化が無数にあると言います。日本人はそれをサブカルチャーを通して受け継いでいる、と。

 

高森師範もまた、もともと日本人の公共心は、教育勅語の前からあった意識だと言います。

たとえ占領軍から排除され、その言葉を知らなくても、ドラマやマンガや映画、あるいは親の背中を見て、いざという時どういう風に対処すればいいか、教室以外の場所で教わってきたと。

 

高森さんは、中国の四川大地震では、学校の先生が子どもを置いて一番最初に逃げ出したことに触れ、また中国では学校の建物が脆弱に作られていたため全部つぶれたのに、共産党関係の建物はびくともしないことを挙げます。つまり中国では公の統治をやっていない。

そこと比べても、日本がいかに公を失っていなかったかが示されたと。

 

司会の笹幸恵師範は、日本人の公共心という美質と、同時に不安にかられやすい心性という文脈をこれまでの議論から取り出します。

 

切通は、3.11以後、支援の仕方も試行錯誤があったことを話題にします。同じ場所でも午前と午後では必要なものが違う場合もあるのに、情報が錯綜し、また場合によってはニーズも訊かないで「自分はいいことをしている」という感覚だけで突っ走ってしまった例もある。

 

そんな中、共同体でお互い顔が見えているところは外からの援助も届きやすく、逆にそうではないところは数合わせ的な援助で、被災者に行き届かない場合もあった。

 

 「何をしたいかではなく、何を求められているか」ということが重要であるはずなのに、設計主義的な考え方だと臨機応変な対応が全然できなくなってしまう。

 

小林師範からここで、村上龍や岡田斗司夫が当時呼びかけていた、有事には「政府を信じよ」という心構えについてはみんなどうやって考えればいいのか?という問題を提起します。

 

村上龍は、地震の時に高層ホテルの上の階に居た自分に象徴させながら、「いまは安全だと信じるしかない」という心情を語りました。

岡田斗司夫は、テレビも通常の番組をやめ一日中震災の報道が続き人心不安が列島を覆った当時「普通の人は一日にニュース三回ぐらい見て、あとは日常に復帰した方がいい」と呼びかけました。

 

僕は小林さんの問いを受けて、「有事には政府を信じよ」という心構えを彼らが、自分は責任を取りたくない為政者に代わって発した勇気を讃えながら、ではその後「どこの日常に復帰するか」という問題があるのではないかと発言しました(実は岡田斗司夫も上の呼びかけで、「政府は何をしているんだ」ということについて、国民は、有事ではなく普段考えていなければならないことだと言っています)。

「もう地震は起こらないはずだ」と思ってペットボトルを無制限に配るということは、地震の起きる可能性が高まった上での、日本のこれからの日常では通用するのか?と。

 

司会の笹師範は、地震は地震後の日本がどうあるべきか考える契機になっていると論点を押さえます。もう100%安全な日常はあり得ない。国民の一人として、リスクヘッジを自分の頭で考えなければ、と。

 

堀辺師範は、電力にすべてを単一化したことの危険を語ります。

多種多様な動力を、文明化の中で複合的に考えないと真の安全は得られない、と。

 

そして、堀辺さんの口からは、後々の議論に影響を与える重要な認識が語られます。

 「原発は核の平和利用だから安全」ではないと。

原発にテロ行為をすれば原爆おとされたと同じこと。

それこそが「日常の中での危険」であり、今回の事故は「原発のある国なんて弱いんだ」ということを世界に示し、「日本の攻撃対象が全部わかっちゃった」という認識をもたらした。

 

小林師範は原発について、3.11以前は「いざとなったら核兵器作る上で必要だとしか思ってなかった」と正直に語ります。

けれど原発の存在そのものが国防上とてつもない危険だということがわかった。

 

司会の笹師範はこれを機に「国のグランドデザインを考え直さないといけない」と言います。

 

切通は、3.11以後、ひとつのエネルギー、ツールに頼ることは出来ないということがわかったとともに、また東北と東京の関係として、東北が危険性を引き受けてくれてるからエネルギーを使えているということを一般的に人々がかなり認識した。震災はその契機にはなったと語りました。

 

人災と天災が合わさる国難、そこで国民は必ず文明を超えた力を感じる。そういう意味では大震災は天罰だったという言葉は間違っていないと堀辺師範は語ります。

 

高森師範は言います。

フランスは原発中心に電力をがっちりキープしてテロにも対応し、「安全な原発」をより追求している。一方ドイツは先進国でありながら脱原発をすすめている。

先進国であれば原発に依存せねばならないということではない。

両国の実情を知り、その上での日本国民の覚悟が問われている。 

そして日本は近代国家に取り囲まれている。その認識の上で、どういう復興を目指していくのか?

 

当時出たばかりの朝日新聞社の雑誌で、東北を経済特区にして関税を撤廃し外資導入するという提案がなされていたのを高森さんは批判します。それは「東日本を植民地にすれば日本は復興する」ということではないのか? それを踏み台にしてTPPのはずみにしようというもくろみではないのか?と。

 

小林師範は、実は朝日でも新米保守でもそういうプランになってしまうと言います。

また高森さんの言うフランスやドイツにしても、両国には地震がないという条件の違いを指摘します。

地震国・日本が、しかも原発を海岸線に作るしかない。一番危険なところに作る宿命、それを背負うのかどうか考えなければならないが、とてつもないリスクだ。

原発は日本の国防とかならずしも直結していない。

そのような条件で日本を経済大国にして他国と勝負できるのだろうか?

 


高森師範は言います。

「原発からエネルギーを与えてもらう。しかも100%安全」。このような考え方はもう通用しない、と。

 

小林師範は「わしは反省している」と言います。

これまで原発は基本的には安全なのかと思っていた。

しかし3.11以後、原発反対に耳を貸さなければならないという気持ちになってしまった。

これからは「平然と原発推進」という側には立ちたくない。

代替エネルギーがあるなら脱原発に傾いても仕方ない……という考えになった。 

誰かが説得力ある形で言ってくれればわしまた変わるかもしれないが、現在のところ、「原発は安全、核作るためには必要」という論理では成り立たないと思っている。

 

堀辺師範はここで、買占め問題について「重要なテーマ」だと語ります。

70年代のオイルショックの時も、主婦たちが自分の夫と子どもを救うため買い占めに走った。それに堀辺さんはある種共鳴したというのです。

 

主婦が国とか考える前に子供や夫のことを考えるということ。

それは、男とはちょっと違う。

 

むろん、社会現象としてそれを全部許してしまうと、戦争の時でも、前線の人間が命がけで戦っているのに後方の人間がいい加減でもいいということになってしまう。それでは戦意もくじかれるだろう。

それと同じで、被災している人が居るのにも関わらず、自分の家族のことばかり考えることが是となるわけではない。

 

しかし、このことに道徳論だけを持ちだしてはいけない。政府や官庁が道徳的お説教を垂れ流してもしょうがない。

政府が非常事態宣言をして、期間を付けて水を制限して売るなどなんらかの対処をすべきだった。

 

小林師範は主婦の立場を尊重する堀辺さんに、やはり抵抗があると言います。

被災地には水道がない。ペットボトルを持っていくしかない。

その現状がありながら、基準値が一日上がっただけで、被災地に送れないほど買い占めをしてしまう東京や以西の母親は、「鬼子母神」ではないのか。

 

堀辺師範は、鬼子母神自体が「母性にはそういうところがある」という教えだと指摘します。

 

小林師範は言います。被災地に届けなければならないと知っていながらペットボトルを買い漁るのは、自分の子どものためなら他人の子どもを食ってるのと同じではないか?と。

 

切通は、賞味期限が今日明日のパンでさえ買い占めが起きたことに触れ「なんとなく不安だ」という気持ちを消費行動で埋めるしかない……という平時的な感覚から脱却できないか、もしくは平時に感覚を戻すためについ、そういうことをやってしまう。つまり、狂わされた本能のスイッチがそっちに合ってしまっているのではないかと発言しました。

 

小林師範は「それが発狂なんだな」と言います。

 

高森師範は「平常時に戻りたい」という不安を、自分の周囲に電池やペットボトルがごろごろあれば埋め合わすことが出来るという気持ちに、母性が輪をかけたのではないかと発言。

 

また、こういう時には政府が「安全だ」と言うべきだったと高森さんは続けて指摘します。

そんなことを言い切れば、後から責任を問われるという保身からそれが出来なかった為政者。

本当は「飲んで大丈夫」と言うべきなのに、曖昧な役人言葉しか喋っていないのは問題であると。

 

堀辺師範も、非常時の為政者にはそうした断言が必要と言います。

 

小林師範も、非常時には、そういう風に強引に束ねてしまうファシズム的人間が必要だが、「水道水でミルク作って飲め」と言ったら当然批判は来るだろうと発言。

 

堀辺師範は、有事にも民主主義を通用するというのは、誤った<民主主義神話>だと語ります。

 

世の中は、物事が円滑に進んでいる時とそうでない時がある。

有事では数秒を争うことで生死が分かれる。

その時に「独断は許さない」などというのは学校のホームルームの感覚に過ぎず、その点で自分は戦前の政治家に軍配を上げざるを得ないと堀辺さん。

有事においても民主主義を手放せない政府は脆弱である。

 

切通は堀辺さんの発言を聴いて、以前小林さんが、「どの道を行きますか」と客に訊いてくるタクシー運転手が嫌いだと言っていたことを思い出し、話題に出します。

ハンドルを握る側が、意見を聞いた上で「あなたが選んだ道だから、こっちは責任を負いませんよ」という態度。

それは震災の報道がデオドラント化され、死体も写らないということと通じているのでは、と。

被災民にマイクを突きつけて、語らせるのは本人の了承を取っているからOKだけれど、いきなり流されていく人を写しても、後で許可を得られない。

責任が問われてしまう。だから被災地では人間を写さない……。

 

非常時の報道においても、全部オーダーメイド社会の感覚で動いてしまい、言質を取ってないことはいっさい出来ない。

そのこと自体に人間社会の液状化、地盤のなさがあらわれてるのでは?

 

ここで「第23回ゴー宣道場」の第一部が終わります。

それぞれのトピック、視点がどういう文脈で出てきたのか、辿り直せたのではないかと思います。

 

分量が多くなってしまいましたので、第二部は近日中、次の機会にUPさせて頂きます!

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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