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笹幸恵
2020.4.15 18:37メディア

ガダルカナル戦、古谷経衡の的外れな指摘

先日、テレ朝「モーニングショー」で玉川徹が
政府のコロナへの対応のぬるさを
「戦力の逐次投入で日本軍は敗けた、それと同じ」と批判していた。
戦史に詳しい人なら、この一言だけで、
「いい加減なことを言っているな」とわかるはずだ。
なぜなら、日本軍はそれで敗けたのではないからだ。
「戦力の逐次投入」は、ガダルカナルの戦訓として
いわれていることで、日本軍の戦闘全般には当てはまらない。
ガ島戦後、守勢に転じた日本軍は、制空海権がなく、
各地に点在する太平洋の島々に援軍を送ろうとしても
十分に送れなかった。
つまり戦力の逐次投入すらできなかったのだ。
聞きかじった程度の話を適当にするな!
と、朝からムカムカしてしょうがなかった。

ところが、どうやら本当に聞きかじっただけの可能性があるらしい。
今日のデイリー新潮で、こんな記事が出ていた。

【テレ朝「玉川徹」に田崎史郎氏が思わずホンネ「羽鳥モーニングショー」は絶好調】

玉川徹と田崎史郎のバトルがここで紹介されている。
まずは要点だけ抜粋しよう。

玉川:コロナとの戦いはよく戦争に例えられるんですけど……
戦力の逐次投入が大失敗のもとなんですね。旧日本軍が、
それをやったがために負けたようなもんです、簡単に言えば。
そういう風なことをまたやろうとしているのか国は、と。
やりすぎて悪いことはないです。
だから、投入できるものは一気に投入する、と。(以下略)

田崎:国は、のんべんだらりと2週間待つということではなくて、
(中略)データを持ちながら様子を見ようということなんです。
これが全然効かなかったら「店閉めてください」という話に
なると思います。

玉川:まさにガダルカナルの失敗そのものですね。そのやり方……。

ここで、玉川はガダルカナルの失敗だと言っているから、
逐次投入がガ島戦の話だということは理解していたらしい。
とはいえ、「それをやったがために負けたようなもん」と
いうのはあまりに乱暴な捉え方だし、雑すぎる。

で、こうしたコメントの応酬のあとで、
民放プロデューサーの言が紹介されている。
「このコロナ対策がガダルカナルの失敗と重なる
という論点で書いていたのは評論家の古谷経衡さんです。
(※玉川のこと)がこの記事を見たかは知りませんが、
前日7日にYahoo!ニュースに掲載されていました」

なんだ、受け売りか。
というわけで、古谷経衡のヤフー記事も見てみる。
【新型コロナとの闘い~日本政府はガダルカナルの失敗を繰り返すのか】

ガダルカナルの戦闘経過を追っている記事だが、
それ自体に大きな間違いはない。
しかしそれをコロナ対策に当てはめようとして、
まるで見当違いの結論を導き出している。

1)そもそも攻めと守りを混同している
先日のブログ
【玉川徹の日本軍発言】
でも取り上げたが、根本的な間違いとして、
攻撃と守備の区別を理解していない。
ガ島では、日本軍は飛行場を占領した米軍を「攻撃」するが、
いま政府がやっていることはコロナの感染「防御」である。
攻めと守りでは全然話が違う。
日本軍の戦訓から何かを見いだそうとするならば、
彼らの「守備」について取り上げなければ辻褄が合わない。
あらためて言うが、日本軍の守備の基本は水際殲滅。
政府はコロナに対して水際殲滅をしなかったのだから、
あとは硫黄島や沖縄のように持久戦で構えるしかない。
これでさらに自粛要請を厳しくするのは、
バンザイ突撃をしろ、と言っているに等しい。

2)都合のいいところだけ、つまみぐい
戦闘経過の詳細を述べているが「結局何が言いたいの?」
という記事である。
わかったようなわからないような言い回しがこの人の特徴だ。
ひとまず、ざっくり要約してみる。

ガ島戦では、「本気で戦おう」と思ったときには
すでにインフラが尽きていて、結果的に「戦力の
逐次投入」になるしかなかった。
しかし今は、まだ日本は国民に大胆な財政出動を
するだけの余力は残されている。
本格的に景気が悪化してから「コロナ不況と戦おう」と
決意したところで体力は残っていない。
ガダルカナル四度目の攻撃は失敗してはならない。

要するに、まだ主力は残っているのだから、
援軍は必ず来る、ここは早めに、一気に攻撃しろ!
そしたら挽回できる!と言いたいのだろう。
これって、三度の攻撃の失敗をした日本軍の発想と
何が違うのだ?
当時の日本軍だって戦力は十分にあった。
あちこちで連戦連勝をしていたのだ。
つまり、古谷の言う「大胆な財政出動をするだけの余力」は
あったのである。
しかしなぜガ島で撤退したかといえば、
これも古谷の指摘どおり「インフラが尽きていた」から。
いまの日本だって同じだ。
企業の倒産が増え続けたら、国にいくら金があったって
注ぎ込みようがない。
国民の間に貧富の差が拡大したら、この社会構造を
変えることは非常に困難だ。
経済的に困窮した人の自殺が増えたら、
いくら国に金があったって意味はない。
死んだ人が生き返ったりしない。
これ以上、経済活動や自粛を厳しくしたら、
会社や社会構造、人といったインフラは壊滅的な被害を受ける。
百歩譲って、コロナ「防御」対策を
ガダルカナルの「攻撃」に照らし合わせた場合、
導き出される教訓は「四度目の攻撃は失敗してはならない」
ではなく、
「失敗するから四度目の攻撃はしてはならない」だ。
都合のよいところだけつまみ食いするのはやめなさい。

3)結局、戦訓から何も学んでいない
これだけガ島戦を詳述できるなら、
少しは他の戦場を含め日本軍全体の教訓から学べ。
「決戦、決戦」と威勢のよい言葉で突撃を繰り返して
いった日本軍の姿を知らないのか。
「攻撃は最大の防御」とばかりに突撃を繰り返していった
日本軍の姿を知らないのか。
そのうち手段が目的化して、突撃そのものが目的になる。
果ては一億玉砕ではないか。
もし何か日本軍の失敗から学ぶとしたら、
攻撃一辺倒で「守る」ことを軽視した点ではないのか?
自分が同じ轍を踏んでいることに、なぜ気づかない?

ついでに言っておきたい。
ガダルカナルにおける第二師団の総攻撃では、
密林を迂回して飛行場の背後(南側)から
攻撃する作戦を立てた。
このとき大本営参謀の辻政信は
「密林障碍の度は軽易なり」と言った。
だからやれる、というわけだ。
しかし実際はとんでもない障碍だらけの進撃ルートだった。
飛行場までたどりつくことができず、
総攻撃の日にちは延期され、
兵士たちは腹を空かせたまま、
疲弊しきった状態で突撃していった。

現場を知らない、現実を知らない、無責任な人間だけが
「突撃せよ!」と威勢のいい言葉を繰り返す。
その構図は、今も昔も変わらない。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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